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パズルゲーム感想アーカイブ

奴隷の火の番 “Little Inferno”

火の番の奴隷ならば長続きするものを……。
私はパズルの奴隷で、しかも短気である。続くわけがない。

暖炉に物を焚べては燃やしていくゲーム。
物は燃やせばなくなってしまうが、火に焚べる物はカタログで取り寄せることができる。レンガや積み木といったわかりやすいガラクタから果ては爆弾のような危険物まで、燃やす物のバリエーションは様々であり、燃やした物に応じてユニークな反応を見せる。
ゲームタイトルは作中におけるこの暖炉の商品名でもある。寒冷化の進む極寒の世界、Tomorrow Corporationから発売されたこのエンタメ暖炉は、超高温でどんな物でも安全に燃やすことができる。

見た目や説明文にパズルの要素は全くないのだが、カテゴリにこっそりパズルが指定されていたためパズルの奴隷の目に留まることとなった。同制作者による他作品が軒並みパズルだったこともあり、やらねばわからないパズルの構造があるのではないかという期待もあった。
だがやはり中身は自称パズルで、マヌケの期待は予想通りに裏切られた。
燃やす物を取り寄せるためにはコインやスタンプを必要とするが、消し炭からは取り寄せるのにかかった費用に1割ほど上乗せした額のコインが出てくるので赤字になることはなく、仮にコインが尽きてしまっても時間経過でコインを落とす虫が出てくるので破産することもなく、ストラテジーと呼べるほど頭を使う必要はない。
同時に燃やすことでコンボが成立する組み合わせがあり、それらを探すという名目で謎解きが存在すると言えるかもしれないが、コンボ同士の繋がりの薄さや断片的なヒントからしてそれはただの連想ゲームでしかなく、その意味でもやはりパズルではない。
また、燃焼時間が極端に短い物や他の物を粉々にしてしまう物などの存在によって、正解の組み合わせを不正解と誤認することがあったことも、パズルとみなすには致命的な欠点だった。

ネタバレ項目: コンボに関する余談

マヌケはDLC含めノーヒントで150個全てのコンボを発見できたが、推測によって解けたのは9割で、残りの1割は総当たりによるものである。
リストの順番がカタログに則っていたことから、本編ではインチキじみた方法で総当たりの手間を大きく減らすことができたが、DLCではそれが通用しなかったため、とにかく一度に燃やせるだけ燃やすという身も蓋もない総当たりになってしまった。

この作品も同制作者による他作品と同様、ただの翻訳ではなくローカライズがなされていて、マヌケも日本語でプレイした。だが推測で解けなかったコンボの数に頭を抱え、もしかして翻訳の過程で失われたニュアンスがあるのではないかと、マヌケは原文と日本語訳文を往復した。
それでわかったのだが、日本語のコンボ名は直球かつ具体的な内容で、原文は回りくどい抽象的な内容になっている。日本語でさっぱりピンと来なかったコンボ名は原文を読んでもちんぷんかんぷんだった。
ところがこれは本編における話であり、DLCではこのわかりやすさが逆転していた。これは日本語訳が抽象的だったという意味ではなく、原文の抽象的な内容のほうがヒントとして役に立ったということだ。
他作品のクレジットに日本語訳の担当とわかる名前が確認できないため確信はできないのだが、共通するフォントの選定と丁寧な翻訳からしておそらく同じ翻訳者が担当していると思われる。
DLCが後付けなため翻訳の質に差が出たという可能性もあるが、よくよく比べてみると本編にも原文のニュアンスが失われたコンボ名があるため、ヒントとしてわかりやすくする過程で差が出ただけで、翻訳の質そのものはどちらも同じなのだろう。
ヒントを翻訳するにあたって、情報を改変すべきか否か、またどこまで改変するべきかは判断が分かれるところだろうが、この作品の場合、与えられるヒントがたったの1フレーズしかないため、わかりやすく噛み砕かれた訳文のヒントは大いに役立った。DLCでは裏目に出てしまったが、本編ではニュアンスを失ったとしても正解には辿り着けたのでヒントとしての機能は失われていなかったと言える。オリジナルと比較して不用意な易化を招いていたり、洒落た言い回しが野暮になってしまっているのは事実だが、マヌケとしては原文のヒントとしてのわかりにくさは支持しがたい。

ちなみに、本編の最後に残ったコンボは「燃やしてパニックな朝食 (Freaked Out Food COMBO)」で、DLCの最後に残ったコンボは「油まみれの靴下 (Dirty Power COMBO)」だった。
前者はパニックの繋がりがさっぱりわからず、正解してようやく意味を理解した。トースターがコンボに絡むことは予想していたが、トースターそのものに意識を奪われ続けていたマヌケは、トーストがパニックを起こすことに気づけなかったのだ。振り返ってみると文字通りのわかりやすいコンボだった。
後者は単純に靴下がヒントとして弱かった。確かに同じ物が一つ下で「ススだらけの靴下 (Coal Cleaner COMBO)」のコンボを共有しているが、靴下といえば真っ先に思い浮かぶのはやはり「悪い子の靴下」なので、言い回しは靴下とは別であってほしかった。

作中でミス・ナンシーに言及される通り、このゲームの主題は物を燃やす炎のゆらめきを眺めることなのだろう。だが、マヌケはそれについても楽しむことはできなかった。
パズルの奴隷としての性が火を絶やしてはいけないような使命感を駆り立てたり、自主的に情緒を見出すような余裕を持たなかったからというのもあるだろうが、原因の大部分はおそらくカタログと暖炉を同時に眺めることができないからだろう。
炎を眺めるには燃やす物が必要だが、カタログを開くには暖炉から目を離さなければならず、ずっと炎を眺め続けることはできないので、シミュレーションとして楽しむには意識が途切れてしまう。物を取り寄せるには時間がかかるくせ物の燃焼の持続時間は平均してそれよりはるかに短いので、カタログを開く頻度も多くなる。
また、取り寄せの時間が少しでも短く済むようにとマヌケは物を放り込んだら空いた枠を埋めるべくすぐにカタログを開く癖がついてしまい、燃焼の一番盛り上がる瞬間とカタログを開くタイミングが重なってしまうことがしばしばあり、その度に興醒めした。

このゲームは自称パズルではあるが、しかしながらパズルとは全くの無関係と呼べるほどかけ離れているわけでもない。
財政管理や商品到着までの待ち時間、お急ぎ便チケットの使い方、燃焼時の挙動の違いやコンボの組み方など、このゲームは急ごうとすると突然ストラテジーの側面が強く表れるようになる。
邪推だが、元々はストラテジーのパズルとして始まって、易化の果てにパズルではなくなってしまったのではないだろうか?だからこそカテゴリにパズルが指定されていたのではないか、と。
このパズルへの未練がましさもまたシミュレーションの魅力を損ねていたように思う。コンボリストを提示されると否が応にもそれを見つけるのを優先したくなって炎なんてどうでもよくなってしまうし、商品到着に時間がかかるからこそ効率よく荷物を受け取ろうとする心理が働いてしまう。コインが余るのに対してチケットの補充が遅いのもそれを助長していた。

形跡はあれど全体では明らかにパズルではなく、節々に残るそのパズルの残滓に足を引っ張られてシミュレーションとしても満足に楽しめず、パズルの奴隷として残念な思いをすることの多い作品だった。
欲張ってこの作品をこっそりパズルカテゴリに含めたりしなければこんな思いをすることはなかったのに。いくら表面上で全くアピールしていないとしても、ストアのカテゴリでそうであると言われれば、そう分類するからにはそれだけの根拠があるはずだと、その判断を信じたくなるし、否定するにはやらねばわからない。だが毎度騙されてばかりで、だから私は自称パズルを自称パズルと呼び忌み嫌っているのだ。

ネタバレ項目:リトルインフェルノは他のゲームとぜんっぜんちがうの!

ポイントはないし
ペナルティーもない
時間制限?そんなものもないわ

だが、実績はある。

取り寄せ不可能な一品物の存在に嫌な予感はしていたのだが、まさかエンディングで答え合わせをする羽目になるとは思わなかった。やり直さなければならないのだと悟ってマヌケは絶望した。
たとえそれが何の不利益ももたらさないものだとしても、存在が表に出ていながら取り返しのつかない要素というものは、私からすれば取り逃がせば等しくペナルティーである。
チケットの分1枠を圧迫し続けるし、うっかり間違えて郵便受けから出してしまおうものならやり直し……これが意味のない、過程を見届けるだけのゲームだと、よく喧伝できたものだ。

ネタバレ項目: 来たるべき終わりとクリスマスに関する不満

酷いと思ったのがエンディングの2Dアドベンチャーパートで、暖炉とは全く違う操作のおぼつかなさと演出のくどさに、早く済ませてくれないかと退屈で仕方がなかった。
暖炉で暖まり続けることはできるが、永遠に続くわけではない。いつか極寒の外の世界へと、自らの意思で旅立たねばならない——このメッセージ自体は素晴らしい内容ではあるが、マヌケは意図してそうしたわけではなく言われるがままそうしただけで、あまり実感がなかった。実際、リトルインフェルノを楽しみ尽くしていなかったマヌケは旅立った後に即刻帰宅している。

私はTomorrow Corporationの理解者ではないが、2度定年まで勤め上げた元社員である。それもあって、門を開くのも早くしてくれと思ったし、ミス・ナンシーの会社を捨てる発言も諦めが早いとつまらなく感じた。
とはいえ、そう感じてしまったのも仕方のないことだったのかもしれない。Tomorrow Corporationにまつわるストーリーが展開される3作品のうち、発売順は今作が最初である。マヌケはミス・ナンシーが去った後の社に浸かりきった後に出戻りするという真逆の形だったため茶番にしか見えなかったが、今作におけるTomorrow Corporationは本来希望の未来の象徴として映るように描かれていたのだろう。

また、本編での手紙のやり取りは楽しく感じられたものの、DLCでのやり取りは本当に酷かった。
シュガー・プランプスとのやり取りが完璧だったわけではないが、彼女の手紙は問いかけるような内容であったり、隣人という物理的な距離の近さを音で表現したりなど、積極的に返事をしたくなるような身近さが感じられた。
だが、8ビットネイトが送りつけてくる手紙の内容は一方的な、しかもつまらないものばかりで、そこにコミュニケーションの実感はなく、郵便受けを圧迫する邪魔物以外の何物でもなかった。
愚痴だの自慢だの思い出語りだのを聞かされるばかりで、一体どうして私が楽しく聞けると思うのだろうか?クリスマス・キャロルをモチーフとした不審者とのやり取りの生中継を垂れ流されて、一体どうして私が楽しく聞けると思うのだろうか?
文字送りの遅さなどもテンポが悪いだけで、その演出の一体何が面白いと思ってそうしたのか理解に苦しむ。

あげく彼がかつて世話になった上司だったとは……丸眼鏡に変えた時、その特徴的な体格と合わせて理解してマヌケは絶望した。
上司としての彼は好きだったが、隣人としての彼は嫌いだ。できるものなら、この記憶を燃やしてしまいたい。

関連項目

Tomorrow Corporationシリーズ作品

同制作者による他作品の感想アーカイブ