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パズルゲーム感想アーカイブ

脳裏に焼きつく陰惨 “Moncage”

一見関係のなさそうな物が繋がっていく物語。
関係のない物でも繋がってしまう。嫌でも。

それぞれの面に別の光景を映し出す不思議な箱を舞台としたポイント&クリックの謎解きアドベンチャー。
日本語のサブタイトルが『箱庭ノ夢』なのでこの箱のことは箱庭と呼ぶべきか。

ポイント&クリックらしく、それぞれの光景はズームして詳しく調べたり物を動かしたりできる。面に映っているのは静的な絵ではなく動的な空間なので、視点を変えると面の中の光景もそれに応じて角度を変える。
そしてこのゲームの最大の特徴は、面と面を合わせることで二つの面に共通する物体を完成させられることである。
例えばある面に進入禁止の看板を前に立ち往生している光景が映っている場合、別の面の形が一致する看板を重ね合わせることで進入禁止の事実をなかったこととして扱えるようになり、展開を先へ進ませることができる。
収集要素を除いて取得アイテムの類は一切なく、このゲームは光景の中にある物体を操作することでのみ解き進められる。

無関係の面と面を重ね合わせるという枠組は繋がりの全く見えない点を無理やり結ばせるという行為ではあるが、このゲームの謎解きは正しくパズルとして組み上げられていた。
似たような形状はあるが色が合わない、面と面は繋げられるが何も起こらないなど、点と点を結ぶには何を結ぶかだけではなくどう結ぶか、そして何のために結ぶのかを考えなければならない。
ヒント機能は充実しているが、それを縛れば縛るほど点と点の繋がりの薄さ、線として繋げられないもどかしさに悩まされるだろう。だが点と点の間の繋がりを多重に離しているからこそ、このパズルはうっかり解けて後から納得することはなく、納得をもって解けた結果の達成感を覚えることができる。

謎解きのパズルとしての完成度もさることながら、さらに素晴らしいことにこの枠組は物語との強固なリンクを有している。
無関係のはずのものが繋がったように、それぞれの面に映し出された光景を補完する線はあまりにも簡単に浮かんできてしまう。
光景の中のギミックの一つ一つはパズルのピースであると同時に、箱庭の中に映る者の心象をも雄弁に表している。その演出の凄さには空恐ろしさすら感じてしまう。

一見関係のないものが作用し合う様は、詰まって苦しむ時間も含めまるで人生のようでもあった。
目的意識を持たねば解けない謎解き、断片的な情報を自然に補完する演出と、謎解きアドベンチャーを苦手としているマヌケでもその世界にのめり込むことのできた素晴らしい作品だった。

ネタバレ項目: 箱庭に収められているもの

ノーマルエンドの「良い夢を」がこれほどまでに皮肉めいて聞こえるとは。
あの箱庭は父から子へ、原罪のバトンを受け渡しながら続く無限ループの悪夢なのだろう。収集要素や実績があるにもかかわらず特定の地点からのやり直しができないという点でゲームとしては大きな欠点だが、物語としてはたったそれだけで親子の運命を語り明かす恐ろしい表現である。

自身がそうして救われたように、贖罪として孤児を引き取り大切に育てたのだろうが、その子もまた同じ運命を辿っていく……逃れようもなく受け継がれていく罪悪、まさに原罪である。
無関係な物同士が先へ進むための鍵として結びつくというパズルの大枠は、ふとした瞬間に訪れる罪の意識のフラッシュバックでもあると思うと、パズルと物語の構造のリンクの深さに感嘆すると共にやるせない気持ちにもなる。

悪夢という名のループからようやく覚めるトゥルーエンドですらとても救いには見えず、むしろおぞましい光景であるとすら思えてしまう。
戦没者の象徴、赤いポピーの花畑。
戦勝に貢献した者としてどんなに華々しく讃えられようとなんの慰めにもならなかった彼に、あの光景ははたしてどう映ったのか。
夢に逃げることすらできないほどに、原罪と一生向き合い続けるしかないとしても、その心が少しでも安らかであることを願うばかりである。